日航ジャンボ機123便墜落事故から30年

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1985年は私が社会人1年生となった年でいろいろと想い出深い年です。
その年の8月12日に羽田空港を出発した日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に18時56分墜落し、乗員乗客524名中520名が亡くなる大惨事が起きました。
あれから30年が経ちます。
今夜、テレビ(TBSニュース)に123便の高濱雅己機長(当時49歳)の長女 高濱洋子さん48歳(現在父と同じ日本航空のCA)が取材に応じられている姿を見ました。
「父の代わりに空の安全を守っていきたい。そういう思いでCAになった」と言われていました。
いまでこそ、ボイスレコーダーの音声が公表され、高濱機長が最後の最後まで墜落を避ける為、全力で立ち向かわれた事が明らかになりましたが、公表されるまでは、誤解され残された家族は世間の批判を浴び嫌がらせが相次いだそうです。



洋子さんは

「父の責任というのについては変わりなく、ご遺族の悲しみは消える事がないので、それはずっと私たちが背負っていかなければならないと思っている」


と答えられていました。




洋子さんは、いつも左胸にお守りを入れておられるそうで、そのお守りとは父、雅己さんが腕に付けていた4本線の機長の印




「これを持っている事で父が必ず守ってくれると感じる」



そうです。









以前、この事故に興味を持ち遺族の遺稿集である「茜雲」など遺族側の本は読みましたが、機長の娘さんの話は初めて聞きました。


30年という節目に深い考えのもと取材に応じられたのでしょう…






「父を誇りに思います」と語られる姿がとても印象的でした。





洋子さんは、8月12日墜落した時間にボイスレコーダーの父の声を聞きながら過ごされるそうです。
私は、18時56分黙祷を捧げようと思います。
最後まで読んで頂き
ありがとうございます。



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ABOUTこの記事をかいた人

名前:中島 英樹 国内トップレベルの閲覧数を誇る“THEエギング烏賊追い人のブログ”を運営するエギングブロガー。佐賀県在住で長崎県の平戸をホームに一年中アオリイカをメインに追っている。座右の銘は「狭き門より入れ」家庭では妻・一男二女の父。夢は子や孫と国境で待ち合わせる旅をすること。1967年3月生まれでビールと烏賊が大好物。